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KOキング坂本 傷だらけの終戦

“平成のKOキング”がリングを去った。プロボクシングの元東洋太平洋ライト級王者の坂本博之(36)が6日、東京・後楽園ホールでカノーンスック・シットジャープライ(17)との引退試合に臨み、プロ初のドローで現役生活の幕を閉じた。坂本の左目上の出血がひどく、7回終了の負傷判定で0―1の引き分け。強打は不発だったが、打たれても前に出るスタイルを最後まで貫いた。通算戦績は47戦39勝29KO7敗1分け。
坂本のボクサー人生そのままの最後だった。91年12月にデビューして15年。47戦目の引退試合を終えた坂本の顔は、無数の傷とカットした左目上の傷口を覆う包帯に包まれた。それでも超満員2300人のファンは拍手を惜しまない。左手を振って応えた坂本は、静かにリングを下りた。
「現役最後の試合なのに申し訳ない。最後にドローで終わったけど、それも人生かも」。17歳の相手に翻ろうされ、4回にはスタミナが切れた。5回に偶然のバッティングで左目上をカットすると、7回に出血がひどくなった。それでも左右のフックを振った。
打たれても前進をやめないファイトスタイルが人気を集めた。幼少時代に両親が離婚。母に引き取られたが、仕事の関係で弟、妹とともに親類の家に預けられた。1日の食事は給食の1食のみ。空腹でザリガニや落ちていた肉まんを拾って口にしたこともあった。
その後、福岡市の養護施設に身を寄せた。わずか10カ月で母のいる東京に出たが、施設のテレビで見たボクシングが、坂本の将来を決めた。幼少時代の苦労をリングにぶつけるように、荒々しい前進とKOを重ねた。
世界挑戦は4度。初回に2度のダウンを奪ったセラノ(ベネズエラ)戦。畑山隆則(横浜光)との壮絶な打ち合い。世界には届かなかったが、その間に養護施設への募金活動をするなど、ボクサーとしては異色の行動力も見せてきた。
「さめた時代だからこそ、熱を伝えたい」。今後はトレーナーとして後進の指導にあたる。将来は地元・福岡でジムを経営する夢もある。リングでの戦いは終わったが、熱い心を胸に坂本の戦いは続く。

平成のKOキング”・・・坂本博之は大好きなボクサーの一人だ。矢吹丈さながらの生い立ちで、幕之内一歩のような常に前へ出続けるファイタータイプのボクサー。最近は、足を使うアウトボクサーが主流で、常にKO狙いのボクシングは観るものを感動させた。ライト級タイトルマッチのセラノ戦は思い出すと今でも悔しい。1Rにセラノから2度のダウンを奪うが、4Rにセラノのアッパーで目を負傷し、5Rに傷口が深くなりTKO負けを喫した。目の負傷さえなければ・・・と思ってしまう。今後は、トレーナーとして自身が成しえなかった世界王者を育ててほしい。

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